ファティマ第三の予言

[通説]
1917年ポルトガルはファティマに住む3人の幼女の前に、数度にわたり聖母マリアが出現し、預言を託したという話。

この事件は、当時またたくまに有名になり、10万人の大観衆が集まったほどで、当時の報道記事などたくさん残っている。このとき、UFO事件とされるファティマの奇跡などもあるが、ここでメモしておきたいのは、その際に託された、人類の未来にかかわる3つの預言である。

これぞ世に言う「ファティマの予言」である。第一と第二の預言は1942年にバチカンから公式に発表されている。
バチカンの発表では、預言は第一次世界大戦終結第二次世界大戦の勃発で、一般には、素晴らしい精度で的中したということになっているのである。

そして、いよいよ第三の予言の発表が待たれるのだが、第三の預言は1960年まで発表してはいけないという設定があるらしく、もどかしい日々であった。さらには、第三の預言は1960年になっても発表されることがなく、伝説によれば「第三の預言」を読んだパウロ六世は、あまりの恐ろしさに卒倒してしまったという。

そして、これは公開してはいけないということで、発表が禁じられてしまったのである。そういった「期待感」からか、第三の預言発表前には、内容について、こんな憶測まであった。

20世紀の後半において、大きな試練が人類の上にくだるであろう。民は神の恩恵を足蹴にし、各地において秩序が乱れる。 全人類の大半を数分のうちに滅ぼすほどの威力を持つ武器が作り出される。神の罰はノアの洪水のときよりも悲惨である。偉大な者も小さい者も同じく滅びる。火と煙が降り、大洋の水は蒸気のように沸き上がる。これらがすべて終った後、世は神に立ち帰り、
聖母マリアは御子イエスの後に従った者の心を呼び起こす。キリストは、単に信じるのみでなく、キリストのために公の場所で、その勝利を勇敢に宣言する人を求めている『奇跡の聖地ファチマ』菅井日人

これぐらい壮大な話なら良かったのだが、実際は違う。2000年5月のこと、ついにバチカンから第三の預言について公式発表があったのである。当時、たくさんの報道があるが、読売の記事を紹介。

【ローマ17日=西田和也】ローマ法王庁はこのほど、六十年近く封印してきた「ファティマの聖母の予言」をめぐる最後の秘密について、一九八一年に起きた法王ヨハネ・パウロ二世(79)の暗殺未遂事件を暗示する内容だったことを初めて明らかにした。「世界の終末の黙示」などと様々な憶測を呼び、ミステリー作品の題材にもなった秘密の公表は、欧米キリスト教社会で大きな反響を呼んでいる。

この秘密は、一九一七年にポルトガル中部ファティマで、牧童らの前に姿を現した聖母マリアが幻影で示したとされる三つの予言の一つ。うち二つの内容は<1>続行中の第一次大戦の戦禍に類似した「地獄」の明示<2>共産主義の台頭と第二次大戦の勃発―などと伝えられてきたが、残る第三の予言については、一切、伏せられてきた。

ファティマで十三日行われた法王による列福式典で法王庁のソダノ国務長官は、この秘密が「白装束の司教が十字架に向かう歩みの途中で銃弾に倒れ、死んだように見えた」幻影だったと発表。バチカンのサンピエトロ広場でトルコ人男性に銃撃され、法王が瀕死の重傷を負った事件の暗示だった、との解釈を示した。

第三の予言は、聖母出現に立ち会った牧童の一人で今も存命の修道女によって文書化され、封筒に納められた状態で四三年にバチカンに渡った。以後、現法王を含む五人の歴代法王が秘匿してきたため、開示を拒む理由や内容をめぐる論争が絶えなかった。

法王は、「聖母のメッセージを正しく伝える」として公表に踏み切ったが、全容に関しては「適切な解釈」を用意してから開示するという。公表を受け、法王庁のおひざ元のイタリアなどでは聖母の予言に改めて関心が集まっている。「(今回の公表まで)暗殺未遂事件後二十年近く要したのはなぜか」「未公表部分にはキリスト教会に都合の悪い内容が含まれているのでは」などと新たな疑問や憶測も生まれている。一方、法王狙撃実行犯でイタリア国内で服役中のトルコ人男性(終身刑)は公表後、「私に銃を握らせたのは悪魔の仕業だ」と語っている。2000/5/17

もう一つ記事

法王庁によると第3の予言は、1981年の同じ5月13日におきた法王暗殺未遂事件を暗示していたという。ヨハネ・パウロ2世は13日、ポルトガルの聖地ファティマを訪れ、1917年の同じ5月13日に聖母マリアと出会ったとされる牧童3人のうち死亡している兄妹を、聖人に次ぐ福者に列するミサを執り行った。」2000.05.14  Web posted at: 4:02 PM JST (0702 GMT)

確かに1981年のローマ法王暗殺未遂は、至近距離からの銃撃にもかかわらず、導きによって銃弾の軌道を反らしてくれたおかげで死ななかったそうだ。このことについて、法王は感謝し、その銃弾を聖遺物とまではいかなくとも、それに順ずる扱いをし、後の手紙でもそのことを深く感謝している。

しかしながら、そんな「暗殺」って…世界大戦二つと比べて劣るし、一番凄い、聞いたら気絶するほど悲惨な預言だとは思えない。これはどういうことか。ともあれ、以上が概要だ。

[所見]
結論として、第三の預言だけでなく、あたっていたとされる第一第二の預言も当たっていたとは思えない。

というのも、そもそものバチカンの発表は、元の託宣に準じたものではなく「神学的解釈」を施したものであり、原文をそのまま読めば、ノストラダムスの予言と同じレベルなのである。

さらに第三の予言の全文も既に公開されている。まず、そこから確認してみよう。

第三の預言引用

・・・マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」

それからわたしたちには、計り知れない光―それは神です―の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。それは教皇だという感じでした。 そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う使者の魂の為に祈っておられました。

それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。 同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらにさまざまな地の天使がいて、おのおの手にした水晶の水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした」『ファティマ 第三の秘密』教皇庁教理省 カトリック中央協議会

以上である。第一も第二もこの程度にしか過ぎないのだ。

今回、この第三の予言の原文コピーと邦訳で全文が掲載されている『ファティマ 第三の秘密(教皇庁教理省 カトリック中央協議会)が発売されていたので購入し検討してみた結果、キモは、神学的解釈であることがわかった。その神学的解釈の理屈をあらっぽくまとめてみよう。だいたい次のような認識でよいと思う。

「外界の情報は五感を通じて翻訳されたものである。
 霊的な内的ビジョンもまた、心的フィルターを通したものである。
 それは五感に頼った外界からの情報を人間が言語として翻訳する以上にムラがある・
 しかも、内的ビジョンを受け取った者の知的限界によって、ビジョンを言語化できる枠に限界がある。
 よって、霊的かつ内的なビジョンは、個別に切り出して預言を解釈してはならない。
 ビジョン全体を一つとして解釈する、神学解釈が必要である。
 それは、預言でありながら、事象が起きたあとに全体として理解できる性質なのである」

というものでしかない。後から、「あの事件を預言していた」という性質のものだというのだ。なんというか予防線を張っているように思えてならないし、これは預言なのだろうか?

ともあれ、こういった解釈が前提にあるため、第一の預言も第二の預言も、そもそも預言になっていない内容であるし、神学者が、この人達の理論などで後から当たったとしていると言っても良い過ぎではない。

※ちなみに私は無神論者で、信仰というだけでシステマティックに「敬意を払え」という態度には強く批判的であるのでご理解いただきたい。