大ピラミッドにジオポリマーが使われていた説

ピラミッドのジオポリマー説

ギザの大ピラミッドを構成する石がジオポリマーで出来ているという説。
Joseph Davidovitsによる説。

大ピラミッドと結び付けるのは、かなり無理だが、古代ローマでジオポリマーの高強度コンクリートが使用されていたという説は棄却する必要はないレベル。

セメント製造技術は、歴史のなかで途絶えたり再発見されたりしてきた。古代ローマ人は、粉々にした岩(caementitium)を生石灰と水に混ぜて、さまざまな建物に使える物質を作り出す方法を知っていた。ローマにあるパンテオンは、無筋コンクリートでできた世界最大のドームといわれており、2000年経った今も強度を保っている。[古代ローマで使われたコンクリートは、セメントおよび火山灰を主成分としており、現代コンクリートの倍以上の強度があったとされている]

だが、中世にはこういった技術は失われ、粗末な代替品として石灰モルタル(洋漆喰)が使われていた。また、1950年代までは、現代的なコンクリートの方が、古代の似たような素材と比べて明らかに耐久性がなかった。多くの建物が、透水や化学作用によって劣化に冒されていたのだ。

ウクライナの科学者、Victor Glukhovsky氏は、古代のセメント製造法だとなぜ現代のセメントより耐久性の高いものができるのかを調べ、アルカリ活性剤を加えることで、非常に品質の高いものができることを発見した。Glukhovsky氏の研究に影響を受けたフランス人の化学エンジニアJoseph Davidovits氏は、ジオポリマーの化学的構造を解明し、その構造を利用する方法を発見した。

ジオポリマーは、専門的には合成アルミノケイ酸塩物質と呼ばれているが、高温で焼成させる必要のないスーパーセメントまたはセラミックスと呼ぶ方がわかりやすいだろう[詳しい説明はこちら(PDF)]。ジオポリマーで作ったマグカップは、セメントの床に落としても割れずに跳ね返る。

記事

アンティキシラの歯車のような意味で、考古学に組み込まれてもおかしくない稀有なオーパーツ
すでに批判も複数提出されている。

ファティマ第三の予言

[通説]
1917年ポルトガルはファティマに住む3人の幼女の前に、数度にわたり聖母マリアが出現し、預言を託したという話。

この事件は、当時またたくまに有名になり、10万人の大観衆が集まったほどで、当時の報道記事などたくさん残っている。このとき、UFO事件とされるファティマの奇跡などもあるが、ここでメモしておきたいのは、その際に託された、人類の未来にかかわる3つの預言である。

これぞ世に言う「ファティマの予言」である。第一と第二の預言は1942年にバチカンから公式に発表されている。
バチカンの発表では、預言は第一次世界大戦終結第二次世界大戦の勃発で、一般には、素晴らしい精度で的中したということになっているのである。

そして、いよいよ第三の予言の発表が待たれるのだが、第三の預言は1960年まで発表してはいけないという設定があるらしく、もどかしい日々であった。さらには、第三の預言は1960年になっても発表されることがなく、伝説によれば「第三の預言」を読んだパウロ六世は、あまりの恐ろしさに卒倒してしまったという。

そして、これは公開してはいけないということで、発表が禁じられてしまったのである。そういった「期待感」からか、第三の預言発表前には、内容について、こんな憶測まであった。

20世紀の後半において、大きな試練が人類の上にくだるであろう。民は神の恩恵を足蹴にし、各地において秩序が乱れる。 全人類の大半を数分のうちに滅ぼすほどの威力を持つ武器が作り出される。神の罰はノアの洪水のときよりも悲惨である。偉大な者も小さい者も同じく滅びる。火と煙が降り、大洋の水は蒸気のように沸き上がる。これらがすべて終った後、世は神に立ち帰り、
聖母マリアは御子イエスの後に従った者の心を呼び起こす。キリストは、単に信じるのみでなく、キリストのために公の場所で、その勝利を勇敢に宣言する人を求めている『奇跡の聖地ファチマ』菅井日人

これぐらい壮大な話なら良かったのだが、実際は違う。2000年5月のこと、ついにバチカンから第三の預言について公式発表があったのである。当時、たくさんの報道があるが、読売の記事を紹介。

【ローマ17日=西田和也】ローマ法王庁はこのほど、六十年近く封印してきた「ファティマの聖母の予言」をめぐる最後の秘密について、一九八一年に起きた法王ヨハネ・パウロ二世(79)の暗殺未遂事件を暗示する内容だったことを初めて明らかにした。「世界の終末の黙示」などと様々な憶測を呼び、ミステリー作品の題材にもなった秘密の公表は、欧米キリスト教社会で大きな反響を呼んでいる。

この秘密は、一九一七年にポルトガル中部ファティマで、牧童らの前に姿を現した聖母マリアが幻影で示したとされる三つの予言の一つ。うち二つの内容は<1>続行中の第一次大戦の戦禍に類似した「地獄」の明示<2>共産主義の台頭と第二次大戦の勃発―などと伝えられてきたが、残る第三の予言については、一切、伏せられてきた。

ファティマで十三日行われた法王による列福式典で法王庁のソダノ国務長官は、この秘密が「白装束の司教が十字架に向かう歩みの途中で銃弾に倒れ、死んだように見えた」幻影だったと発表。バチカンのサンピエトロ広場でトルコ人男性に銃撃され、法王が瀕死の重傷を負った事件の暗示だった、との解釈を示した。

第三の予言は、聖母出現に立ち会った牧童の一人で今も存命の修道女によって文書化され、封筒に納められた状態で四三年にバチカンに渡った。以後、現法王を含む五人の歴代法王が秘匿してきたため、開示を拒む理由や内容をめぐる論争が絶えなかった。

法王は、「聖母のメッセージを正しく伝える」として公表に踏み切ったが、全容に関しては「適切な解釈」を用意してから開示するという。公表を受け、法王庁のおひざ元のイタリアなどでは聖母の予言に改めて関心が集まっている。「(今回の公表まで)暗殺未遂事件後二十年近く要したのはなぜか」「未公表部分にはキリスト教会に都合の悪い内容が含まれているのでは」などと新たな疑問や憶測も生まれている。一方、法王狙撃実行犯でイタリア国内で服役中のトルコ人男性(終身刑)は公表後、「私に銃を握らせたのは悪魔の仕業だ」と語っている。2000/5/17

もう一つ記事

法王庁によると第3の予言は、1981年の同じ5月13日におきた法王暗殺未遂事件を暗示していたという。ヨハネ・パウロ2世は13日、ポルトガルの聖地ファティマを訪れ、1917年の同じ5月13日に聖母マリアと出会ったとされる牧童3人のうち死亡している兄妹を、聖人に次ぐ福者に列するミサを執り行った。」2000.05.14  Web posted at: 4:02 PM JST (0702 GMT)

確かに1981年のローマ法王暗殺未遂は、至近距離からの銃撃にもかかわらず、導きによって銃弾の軌道を反らしてくれたおかげで死ななかったそうだ。このことについて、法王は感謝し、その銃弾を聖遺物とまではいかなくとも、それに順ずる扱いをし、後の手紙でもそのことを深く感謝している。

しかしながら、そんな「暗殺」って…世界大戦二つと比べて劣るし、一番凄い、聞いたら気絶するほど悲惨な預言だとは思えない。これはどういうことか。ともあれ、以上が概要だ。

[所見]
結論として、第三の預言だけでなく、あたっていたとされる第一第二の預言も当たっていたとは思えない。

というのも、そもそものバチカンの発表は、元の託宣に準じたものではなく「神学的解釈」を施したものであり、原文をそのまま読めば、ノストラダムスの予言と同じレベルなのである。

さらに第三の予言の全文も既に公開されている。まず、そこから確認してみよう。

第三の預言引用

・・・マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」

それからわたしたちには、計り知れない光―それは神です―の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。それは教皇だという感じでした。 そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う使者の魂の為に祈っておられました。

それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。 同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらにさまざまな地の天使がいて、おのおの手にした水晶の水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした」『ファティマ 第三の秘密』教皇庁教理省 カトリック中央協議会

以上である。第一も第二もこの程度にしか過ぎないのだ。

今回、この第三の予言の原文コピーと邦訳で全文が掲載されている『ファティマ 第三の秘密(教皇庁教理省 カトリック中央協議会)が発売されていたので購入し検討してみた結果、キモは、神学的解釈であることがわかった。その神学的解釈の理屈をあらっぽくまとめてみよう。だいたい次のような認識でよいと思う。

「外界の情報は五感を通じて翻訳されたものである。
 霊的な内的ビジョンもまた、心的フィルターを通したものである。
 それは五感に頼った外界からの情報を人間が言語として翻訳する以上にムラがある・
 しかも、内的ビジョンを受け取った者の知的限界によって、ビジョンを言語化できる枠に限界がある。
 よって、霊的かつ内的なビジョンは、個別に切り出して預言を解釈してはならない。
 ビジョン全体を一つとして解釈する、神学解釈が必要である。
 それは、預言でありながら、事象が起きたあとに全体として理解できる性質なのである」

というものでしかない。後から、「あの事件を預言していた」という性質のものだというのだ。なんというか予防線を張っているように思えてならないし、これは預言なのだろうか?

ともあれ、こういった解釈が前提にあるため、第一の預言も第二の預言も、そもそも預言になっていない内容であるし、神学者が、この人達の理論などで後から当たったとしていると言っても良い過ぎではない。

※ちなみに私は無神論者で、信仰というだけでシステマティックに「敬意を払え」という態度には強く批判的であるのでご理解いただきたい。

ロレットチャペル 奇跡のらせん階段 2014/9/28資料追加+暫定改定

ようやく階段の製造者まで到達した。けど、そこは教会のスキャンダル?というか、
名誉を棄損する話にもなるので次回にする。とりあえず前半まで更新した。

[概要] 
 ロレットチャペルとはニューメキシコサンタフェにある美しい教会。
ここは「奇跡の螺旋階段」というオーパーツ然とした物件があることでも知られている。
この螺旋階段には非常に興味深い逸話が残されており、その超常性は特筆に値する。

これが今に残るロレットチャペルと奇跡の螺旋階段。

このゴシック建築の教会は、1873年から5年かけて建造する計画としてスタートした。
当時はインフラ等が整備されておらず、資材の運搬等も困難であったが、建築は順調に進んだ。
ところが、いよいよ完成が見えてきたとき、恐るべき大失態が発覚する。

この教会、吹き抜けの礼拝堂2階部分に、聖歌隊が乗るための足場が設けられているのだが、
そこに登る方法が想定されておらず、階段を設置しようにも、そのスペースが無いというのだ。これは本気で困った。

対策としてハシゴや改築など、いろいろな案が出たが、いずれも外観を損なうものばかりで相応しくない。

そこで困ったときの神頼みにもっとも相応しいこの人達は、聖ヨセフ(大工)に祈りを捧げたという。

私としては、なんとも身勝手な話に思うのだけど、9日間の祈り(ノベナ,novena)によって報われる。

尼さんたちが祈り続けると、どこからともなくロバと共に大工道具箱を持った老大工がやってきたという。
老人は「事情はすべて判っているよ」といった様子で、問題を解決すると申し出る。
所持品の大工道具は、ハンマー、のこぎり、T定規、木材を浸した水桶というわずかなものでしかない…。

後で法外な請求をされるかもしれない、あるいは善意による無能な者が、教会に不釣合いなヘンテコな階段を造ってしまったらどうするのか?

近年の話だが、スペインのSanctuary of Mercy Churchという教会で100年の歴史を持つキリストのフレスコ画を無茶苦茶な状態に修復した事件があったのを思い出してしまった。

ともあれ、祈りが通じたと信じる関係者一同はその手の疑念を抱くことなく作業を一任。

そんなこんなで数ヵ月が経った。

おお、見よ、階段のスペースがなく困っていた礼拝堂内に、場所を取らないばかりか、芸術性も高く、教会にマッチした螺旋階段が建造された!
二階の足場に昇り降りができるようになっているではないか。

この、奇跡の木造螺旋階段は、33段で、360度を2回転する螺旋構造。
使われた資材は、階段の素材以外には、木の釘だけ。そして、素晴らしいことに支柱も、壁面との接触がない。

かくして教会の面子丸つぶれといった危機を迎えた設計上の大失態は、もっともエレガントな
無柱螺旋階段「奇跡の階段("Miraculous Stair")」によって救済された次第である。

階段の完成後、司教らが労をねぎらうべく食事に招いたが、当の大工は金さえ受け取らず消えてしまったという。

結局、この偉大な大工が何者か誰も知らず、正体不明だったのだが、あまりにも見事な螺旋階段なので、
然るべく対価とお礼のため、新聞に広告を出して呼びかけたが、結局わからず現在にいたっている。

※この手すりが無い写真は、現在の写真から手すりを修正加工した再現画像。

ロレットチャペル側の公式ページによれば、現在も祈りに応えた「聖ヨゼフ」がつくったと説明している。

この階段、建設当初は、前述の写真のように手すりがなく、乗り降りするたびに上下にゆれるので無茶苦茶怖かったらしい。
当時12歳だった修道女が、当時、揺れがあまりに怖すぎるため、修道女達の希望で後に手すりが取り付けられと証言している。

その後、この「奇跡の階段」は、保存のために使用制限するまでの85年間、ほぼ毎日使われてきたという。
それでも耐久性に問題はなく、しっかりとした構造であることは証明されていると言って良いだろう。
ちなみに現在は保存のため、結婚式以外では原則として解放されていない。

[注目・補足・謎]
・素材の謎
 →近年、素材などの調査がなされた結果「新種の杉」だったとの話がある。
  新種はさておき、少なくとも、サンタフェ付近には存在しない木材であることは事実。

・支柱がない+壁面と階段の接合がない(完成時)
 →普通の螺旋階段の情報を調べた範囲では、これは確かに凄い。
  無柱螺旋階段というのは、確実に一般的な存在ではないが、不可能というわけでもない。
  たとえば「中心の無い螺旋階段(ロフト用)」は興味深い。
 
・なのに強度が高い
 →写真が示すようにかなり頑丈。何らかの説明は欲しい。

・完成度
 →現代の建築関係者も見学しに行っては感嘆するほど素晴らしい出来だという。

・ヒント
 →この階段を上ったという並木氏の証言では「けっこうゆれる」とあり、修道女の「上下にゆれて怖い」という報告が裏付けられている。

なお、私の嫁、那須野美穂の兄が建築関係者のため所見を尋ねてみた。

1.「支柱がないのにこの強度というのは、確かに異常」
2.「常識的に、こんなのつくったら途中でぶち壊れる」
3.「木をきれいに曲げる技術は意外と普通」
4.「仮説として、力学的にスプリングになっているのではないか」
5.「比較的短い期間で、一人の人間がつくったというのは物理的に不可能なレベル。絶対ムリ。」
6.「木の釘」しか使っていない件は、日本にも釘さえ使わず強度の高い木造建築を可能とするテクニックがあるし、どうにかなりそう。

だいたいこんな感じであったが、それぞれ納得。
いまだ建築関係の専門家にとっても謎というのは、謎の度合いによる解釈の温度差があるだろう。

たとえば、より精緻な調査の結果、技術的に困難だということが確かだったとしても、巨石の加工や扱いに関する技術など、
現代では失われた職人技は意外と多いわけで、奇跡の螺旋階段もまた、その典型的な事例かもしれない。

いずれにせよ、超常性抜きに、これをつくった職人(達)が超一流であることに疑念の余地はあるまい。

[真相へのアプローチ]

 私は、並木氏の本で知って、非常に面白かったので調べていたら、本当に面白いミステリーで気に入っている物件だ。
現在では、Joe Nickellが98年に調査した報告が足場になりそうだ。
といっても、「不可能というほど不可能ではない」という認識に落ち着くだろう。

ジョー・ニッケルの調査で注目に値する点は、他所では言及されにくい部分で、現在の手すりバージョンだと、
支柱こそないままだが、手すりから壁に接合している部分があり、安全度が強化されているという指摘だろうか。
『Skeptical Inquiry』1998年12月「Helix to Heaven」Investigative Files , Joe Nickell

参考文献
『The Fatima Crusader』(Issue 83, Summer 2006) Carl R. Albach
『世界怪奇事件ファイル』 並木伸一郎
『St. Joseph Magazine』(April 1960) Sister M. Florian
The Sisters and Their Santa Fe Chapel』Cook, Mary (1984)
※改定『Loretto: The Sisters and Their Santa Fe Chapel』Cook, Mary (2002)

参考WEB
「Skeptical Inquiry」Volume 22.6, November / December 1998
Helix to Heaven」Investigative Files , Joe Nickell
「Sisters of Loretto - THE MIRACULOUS STAIRCASE - 」Dan Paulo (閉鎖)
Loretto Chapel Online
中心の無い螺旋階段(ロフト用)
「About.com Urban Legends」「The Mysterious Staircase of Loretto Chapel - Analysis

トリノの聖骸布:ロシア正教会が100%本物との見解

報道記事の保存用

 トリノの聖骸布; 2011/12/25海外報道「The Voice of Russia

 「キリスト教の聖遺物の1つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺骸を包んだと言い伝えられている布、トリノの聖骸布が本物なのか偽物なのか、この問いは、何世紀にも渡って宗教界及び科学界の関心を引いてきた。

この2千年間謎であったものの1つが、どうやら解明されたようだ。イタリアの学者達は、長年の研究の末、意外とも言える結論に達した。世界のキリスト教徒すべての崇拝を集める聖骸布が正真正銘の本物だというのだ。

世界中でトリノの聖骸布として知られる聖遺物の本体は、縦4.36m、横1.1mの杉綾織の亜麻布で、現在、トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている。 この布について何世紀もの間、様々に言われてきたが、バチカンは現在に至るまで、その真偽に関し公式的な答えを出していない。しかしこの事は、布がキリスト教の重要な聖遺物の1つとして崇められる妨げとはなっていない。

 芸術学者でバチカン調査委員会のメンバーでもあるエカテリーナ・スィニツィナ=サントニイさんは、VORのインタビューに答え、次のように述べた―

  「聖骸布に関する今回の研究は、ほぼ5年に渡り続けられ、学者達は、一連の複雑な鑑定がなされ、それにより布がほぼ100%本物である事が証明された。 布の年代測定が行われ、キリスト誕生後一世紀のものであると特定された。 素材は麻、中世のものでない事が証明された。我々は、色素顔料が全くないことを証明した。つまり、布は人の業とは思えないものなのだ。 明らかになった部分すべては、本質的なものだ。聖書では、キリストはこの衣に40時間包まれていたと書かれている。 今回の調査では、実際にこの布の中に40時間遺骸があった事が、証明された。 ゆえに95%、この布は本物だと言える。」

  聖骸布は又、学者達に、キリストが受けた磔刑がいかに残酷なものであったかを物語った。キリストは磔まで、鞭打ちの刑を受けた事が福音書に記されている。 使徒達によれば、死ぬ少し前まで、キリストの頭には棘の冠も被せられていた。長い間人々は、磔はキリストを辱めるための手段だったと考えてきたが、今回の調査で分かったのは、それは一種の拷問であったという事実だった。冠のトゲが頭に刺さり、著しい出血があり、血は髪の毛や顔に流れ出て滴り落ち、その痕が模様のように布に残っている。

 ロシア正教会でも、トリノの聖骸布は極めて重要な聖遺物の1つと見做されているが、今回の調査について、ロシア正教会宗務院協力部及び聖職者教会のスポークスマンを務めるゲオルギイ・ロシチン氏は、次のように話してくれた―

  「信仰というのは、心の中から発するものだ。外的要因は、信仰の基盤を確認するに過ぎない。信者達は、証拠など必要としていない。今回の調査結果は、信者で無い人々にこの世界すべては創造主が創り上げたのだという事を考えてもらう良い機会になった。 聖遺物が本物だという確認が必要なのは、懐疑論者だけだ。」  

 イタリアの学者達は、調査の継続を決めたが、バチカンは、今回の学術的結論は完全に納得のいくものだと見做し、彼らはおそらく近く公式にそれを発表するものと思われる。 カトリック教会の代表者達は,今回の調査結果により、ますます信仰の規律が強まり、世界でキリスト教徒が増えるものと確信している。」